2014/02/07

見習い修行:賄い

私の理想レストランの定義の一つに賄いの充実した店は絶対美味しいがある。
賄いは料理をする人が口にするものだから それを粗末にしている店は客にだすのもそれなりだろうという理由だ。
残念な事に私の修業先はまさしくはずれ組だった。他人ばかりが一緒に働く店はもう少し気を遣うので少しはマシかもしれないけれど 兄弟で働くここはスパルタだ。
昼は一応座って食べるけれど 毎日具無し麺とサラダ、みかんと来た。
今夜はスクランブルエッグとサラダを立ち食い。
なんだろう?節約なのか、食べることに興味がないのか、哀しい現実を見てしまった。

疑問はそれだけではない、コンスタントに納品される食材を下準備して古い順から客にだす。つまり、今の時期のようなオフシーズンは客がゼロのときもあり 絶対的に消費不可能。新鮮な食べ物を新鮮なうちにだせないなら 冷凍品を提供する店のほうがまだましではなかろうか?
オーナーシェフの頭の中は まだまだ理解するには時間がかかる。

2014/02/04

見習い1日目 Osteria Orto dei Mori

見習い奉公1日目は来客ゼロという現実で終わった。
もっともオフシーズンと連日の雨、おまけにアクアアルタまで起るので 夜はともかくとして昼の来客は週末でもない限り難しいだろう。
おまけに月曜日という事もある。魚市場が休みの日月はほとんどのヴェネチアの店が休むのに ここは逆を狙ってか、火曜休み。
店を持つという事は周辺状況もあわせていろいろ考えなくてはならない。

そんな状況でも、ともかく私とコンスにとっては初めてのプロの厨房体験。
38席の店の厨房は6畳程の大きさでコンパクトによく考えられている。
大きな冷蔵庫はなく、調理台の下やコンロ下に小さな引き出し冷蔵庫があり、そこにそれぞれ種類別に食品がしまわれている。素早く調理をする工夫で、半分は下こしらえが出来ている。後は出して、仕上げの調理をするばかりなり。
厨房はオーナーシェフのロレンツォさんを中心に弟二人が交互、そして助っ人のバングラディシュ人のジャマールが働く。
週明けの水曜の朝は仕込み、日、月曜以外はその日ごとの仕込みがあるそうだ。
月曜の夜は大掃除。一番の掻き入れ日は土曜日だそうだ。
駅からもほど近く散歩コースにある店なのでやっぱり週末が勝負。
 メニューは年に3回程変えるそうでフィックス、前菜〜セコンドまでがそれぞれ8種類、
お菓子が6種だ。
今日はロレンツォさんが 丁寧にチョコレートムースの実演をしてくれた。
賄いのお昼を頂いて、後はおしゃべりで今日は終わり。

コンスは念仏のように自分の歳をいう「私は53歳で35の娘がいる、私は53歳なのよ、、、」思い返せば2年前の授業初日にアルファベット順の自己紹介があり 3番目の彼女はいきなり「皆さん、クラスで一番年寄りの私は、、、」その時横にいた私は若く見られた事で実年齢はふせてしまった。それ以来自前の歳をサバ読んでる私は本当に立場がない。一度サバを読み出したら読みとおすしかないっしょ。
だけどねぇ、この土曜日 私、誕生日です。ああ、50の手習いもなかなか大変であります。

2014/02/02

stage

明日から、とうとう恐れていた実習stageがはじまる。
stageとはフランス語で見習い、イタリア語ではTirocinio.
学校ではフランス語読みを使っている。ともなく、
基本的に学校から指定された場所で2週間見習い奉公をしなくてはならない。
私とクラスメートのコンスはヴェネチアのオステリアを指定された。
コンスも私と同じで50の手習い組。彼女はイタリア人でリッチな奥様から
独身に戻った人だ。我々の行先は 他の学生達がホテルへ行くのとはちょっとニュアンスが違う。オステリアの小さい厨房でどんな毎日が待っているのだろう?
オーナーシェフの店だからジャガイモ一個も無駄にするわけにはいかないだろうし、、、
ああ、心配。自前では料理は自信があるけど、プロの世界の片隅でどのくらい役にたてるのか、、。コンスが、ババ組がいきなり行ったら驚くだろうから先に会っておこうよというので 先週、雨の中を二人で挨拶に出かけた。
兄弟3人のシェフがいて 経営はマネージャと長男シエフが共同で行っているそうだ。
こぎれいな店内と清潔そうな厨房は好感がもてた。
ああ、神様、大きなドジをせずにこの2週間が過ごせますように!
そう、私は結構なトンマでちょっぴり運も悪く"sfigato"。
ああ、緊張の初日が待っています。

50の手習い、実践中

あっという間に2年目に突入し 益々大変な日々を送っています。
この学校では1年で2年間分を習得します。2年目は高専の3年と4年に値し、3年目は最後の5年生です。というわけで1年に2年分課題をこなさないといけないので
はっきり言って授業より試験の方が多い。
今年の私の宿敵は栄養学。シチリア出身の若い教師は、ババ抜きの達人のように授業は完全ババ無視。もちろん、ババの私の質問にも答えてくれない!歳を取っているって罪なんかい!?
最初のテストはいつものようにものすごく勉強して間違いゼロだったのに10点中8点、間違い1個の人は9点! この理由は誰にでもわかるような説明文になっていないからだそう。2回目のテストは絵図まで書いて説明してミスゼロなのに6.5点。半分も回答できなかった白紙男は7点!私が文句を言う前に教師曰く「君が点数に満足していないのは判るけれど全ては今後、君がもっと頑張るようにと思っての点数だよ」だと!!!あのね、仕事もって頑張ってる私には低い点数もらうとやる気なくなるの!=と言いたかったけど益々関係悪化してもしかたないのでぐっと押さえて、じゃあ どーすりゃいいの?と下手にでたけれど、試験前に添削する?だと???。おまけに彼は30代のフェデしか目に入ってないしねえ。女の魅力も成績のうち?もう、すっかりこの科目はあきらめました。

今年は、フェデも含めて編入生が全体の約三分の一入ってきた。相変わらずの大所帯で使用できる部屋がなく 苦肉の策でオーディオルームが割り当てられた。それぞれボックス内にいるのでとなりとのおしゃべりはしにくいけど ネットばかりやる人にはいいらしい。なんと言ってもカンニングにはもってこいだろうねえ。
壁所苦手な私にとっては環境に慣れるのに一苦労。

編入生は全員イタリア人、高校や大学を卒業して進路変更した人、 社会人で就労難から新しい職種を求めてと言った具合で これまでの外国人ベースのクラスが一気にまともなクラスへと変わってしまった。皆、当然ながらベースがあるので 今までとは違う空気が流れ出した。

2012/09/29

Istituto Alberghiera Andrea Barbarigo

タイトルは学校の名前です。私のクラスはなんと40人近い大人数。
イタリアでは法的に30人以上のクラスは認められていないそうで出席簿は後の番号がない!?
これは、夜学ということもあり、早々にクラスに残れない人がでるのを見越しての数字らしいがなにしろ多い、出席をとるだけで軽く20分はかかる始末。その上、イタリア人は三分の一ほどで後は東欧諸国、バングラデッシュ、ネパール、フィリピン、、、名前を読むのも教師に取っては一苦労。
コースは夜学なので成人である事が第一条件。東欧からの学生達は短い人は1週間や数ヶ月まえにイタリアにやってきたにもかかわらずイタリア語の習得の早さは凄い。言語の根本が似ているとはいえ、イタリア人にこの逆はなかなか難しいだろう。

思い返せば数十年前、イタリアの学校に通いだした頃、当時は今程のイタリアブームではなかったとはいえ、チァオさえ、知らなかった。かなりの傍若無人ぶりの私であった。当然ながら学校の授業は完璧なちんぷんかんぷん、テストは友人のを丸写しで乗り越えていた。
教師も心得たもので、その時は外に出てくれる親切さ、思えばいい時代でありました。
話しはそれたけれど、ともかく東欧の彼らはスゴイ、今でこそ、イタリア語の授業について行けないだろうけど それもあっという間のことだろう。

学校の名前のAlberghieraはホテル学校を意味する。スイスの名高い学校とは月とスッポンだけれどまあ、しょうがない。若くて資金があればスイスへ行くのが当然だろう。
その証拠にイタリア本国を除いて通学している学生で先進諸国民は私くらい!!!

授業はホテル学校らしくレセプション、レストラン給仕、調理が実技。数学、国語(イタリア語)、外国語は英語は必修で次に仏、西、独から選択。歴史に物理、、まあ、そんな所です。毎日5時間、週5日。ハード也!

2012/09/28

50の手習い開始!

人生何が起きるかわからない。
それは私が夫を亡くしたときも同じ、彼がずぅーと自分と一緒に居てくれない事など ただの一時さえ考えた事はなかったし思いつきもしなかった。

たった一人になって、毎日毎日めそめそしているばかりで、歳月は確実に過ぎて行くのに この4年、哀しみにがんじがらめになっていた。そんな自分が居る事さえ、知らなかった。寂しくて、悲しくて、もっと一杯幸せにしてあげれば良かったと後悔したり、大バカだった自分がなさけなかったり、生前の彼の事を気楽に話したいし聞いて欲しい、、、、いろんな思いが堂々巡りして、そんな心の悩みは仕事がある時は忘れていられるけど、、定職を持たない私にはあまり助けにならない。

そこで考えついたのが 学校に入る事、ただし、まずはいくら定職ではないとは言いながらも基本的に仕事をしながら通える事。そうなると夜学しかない。で、無類の食べるの好き、料理好きな自分には???、、あった!あった!ヴェネチアにはホテル学校があった!日本で言えば高専みたいなもので、公立、しかも夜学がある!
さっそく入学申し込みに行ったのが一昨年の2011年。残念ながらその時は既にオーバーブッキング状況で年度内には入学出来ず、今年の春の申し込みを待って申請し、ようやく9月から学校生活が始まりました。

まず、驚いたのは学校からはなんの通達もないこと。一体いつから学校始まるの?という疑問と不安はテレビの新学期スタートのニュースで確実となり、翌日9月12日(水)に学校に出向いて確認したら、昨日から始まっている!う〜ん、お粗末であった。しかし、お粗末はここで終わらず 学校側はまだ教師が充分整っていないので来週の9月17日の月曜からレッスンがスタートするという、なかなかイタリア的なスタートでありました。
で、晴れて17日からのレッスンに通いだしたのだけれど 最初の授業は驚いた!
続きはまた後日。

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